夏至の夜
お人好し、だとよく言われる。
自分ではそうは思わないのだが、一緒に生活してきた仲間が言うのだからそうなのかもしれなかった。しかしそれについ伊作は損な性格だとは思わない。そう。損だとは思わないのだ。
ただ、厄介だとは最近やっと自覚するようになった。
まあ自覚したからといって、そう易々と改まるものでもない。考えても無駄とは分かっているのだ。しかし、この天候が伊作を鬱々とした思考の迷路へ引きずり込む。
昼間から降りだした雨は、すっかり日が落ちた今もやむ気配をみせない。梅雨に入ってからというもの、こんな天気ばかり続いていた。医務室の軒先を次から次に雨粒がしたたる。伊作はぼんやりとそれを眺めていた。
「風邪をひくよ」
後方から低くそっけない声が伊作の耳に届いた。ふり返ると雑渡と目があった。伊作は笑った。
「大丈夫ですよ。寒いわけではありませんし、そんなに過保護にならなくても」
「ただの方便」
雑渡の意図するところが分からず、伊作は首をひねった。
「今日は夏至だよ。夜が一番短いんだよ。つまり、わたしと伊作くんがいちゃつける時間が一番短いんだから、早くこっちに来てってこと」
伊作は軽く引いた。
「そんなこと力いっぱい言わなくても……。なんか冷めます」
「よしっ! そんな伊作くんを温めてあげよう。ささっ、遠慮せず」
そう言うと、雑渡は座ったまま両手を広げた。口調とは違い、男の顔は真剣そのものだった。なんだかおかしくなる。
初めて出会ったときは雑渡がこんなひょうきんな一面を持ち合わせていることを知らなかった。当たり前といえば当たり前なのだ。あのときはお互いに素性など知らなかったのだから。交わした言葉も少なく、伊作にいたっては雑渡のことなど忘れかけていたくらいなのだから。
伊作は雑渡の背に手をまわした。胸に顔を押し付けると雨の匂いがした。深く吸い込む。途端に笑いがこみ上げてきた。
「何がおかしいのさ」
雑渡が怪訝な声をもらす。
「すみません。なんか、雑渡さんとこんなことをする関係になるなんて、出会ったころは夢にも思わなかったなあと、感慨にふけっていたんです」
「ふけるのは勝手だけどさあ。抱きしめあうだけなんて、愛情表現の初歩の初歩だよ。言ってみれば、人間の子供が寝返りうつようになったのと一緒だよ。伊作くんが望むのなら、もっとすっごいことも――」
「信じてますから」
伊作はにっこりと満面の笑みを向けた。雑渡がうなだれる。
「そう言われちゃうとなあ。何も出来ない」
雑渡の束縛がきつくなった。
「あはは。苦しい、降参です。でも、まあ、ここを卒業したらなんでもござれですよ」
「期待してるよ」
それきり、二人は黙っていた。脈打つ音が聞こえた。伊作のものか雑渡のものかは分からない。けれど雨音と同じくらいはっきりと聞こえた。こんなときは、世界はひとつなのだと感じる。大人も子供もタソガレドキも忍術学園も朝も夜も、すべての違和や矛盾は雨に包まれ大地に溶け込み、またどこかへ還っていく。それは伊作をとても安心させた。
すべての関係は伊作のお人好しから始まったといっても過言ではない。だからこそ厄介だと思うのだ。雑渡への想いはこの先も断ち切れそうにない。
それはまるで、世界を巡る雨のようにずっと――。
短い夜が明けるまでは、どこかへ還ってみたいと思った。
終わり 20100622