晴れときどき花


 面倒見がいい、とよく言われる。
 実際そうなのだろう。
 凝った腰を伸ばしながら食満留三郎は高い空を仰いだ。
 初秋の風が足元の花々を揺らす。
 留三郎が委員長を務める用具委員会は下級生の割合が多い。
 暮らしと学びが一体となった忍術学園では必然、上級生が下級生の世話を焼くことになる。
 六年間の学園生活の中で頼られることも多く責任感が培われたのだろう。
 もっとも、面倒見がいいというよりかは、面倒を見なければ抜け出せないような状況に陥ることが多いだけなのかもしれない。
 そいういう相手と六年間も同室なのだ。
 ちらりと向けた視線の先に、花畑に埋もれつつひょこひょこと動く髷が見える。
 同室の善法寺伊作のものだ。
 忍びとしての才覚……もあるが、それ以上に本草や金創の知識について明るい。
 しかし、そんな持てる能力のすべてを塗りつぶしてしまえるくらいに伊作は不運なのである。
 不運の一言で片づけて良いものか判断しかねるが、先日、伊作が委員長を務める保健委員会は予備予算の請求を忘れた。
 伊作のその落ち込みっぷりは今までにないものだったが、肩を落としていても予算は湧いてこない。
 そのため、委員長である伊作は責任をとり仏像彫りで必要経費を作り出そうとしたのだ。
 が、いかんせん、それを夜中にやられるもんだから一緒に寝ている留三郎はたまったもんじゃない。
 初めのうちは協力しようと我慢したり手伝ったりもしたが、日中でも頭の中にカッコンカッコンと音がするようになってしまった。
 どうやらそれは伊作も同じだったようだ。
 このままでは日常生活に支障が出てしまうと協議した結果、仏像彫りよりかは多少金額が劣ってしまうが薬草を摘んで売ることにしたわけである。
 もちろん、同室のよしみだ。
 留三郎は当たり前のように手伝いを申し出た。
 遠く、留三郎の視線に気づいた伊作が手を振った。
「すまない、留三郎」
 声は聞こえないが、口の動きで分かる。
 もっとも、読唇などしなくても伊作が何を言いたいのか理解できた。
 そういう歳月を共にしてきたのだ。
 卒業してしまえば互いの消息も分からなくなることが信じられないくらい一緒だった。
 ちょっと手を上げてみせて、再び作業に戻ろうとしゃがんだとき視界が陰った。
「やあ」
 昼日中の花畑に不釣合い極まりない黒装束。
「……っ、雑渡さん」
 驚きつつも大声で叫んだり尻餅をつかなかった留三郎であったが、思わず立ち上がり伊作の方を見てしまった。
 伊作は気づいていない。
「伊作くんに用じゃない」
「えっ! じゃまさか」
「そうそう」
「お花摘み……」
「そうそうって、んなわけないじゃん」
 花に埋もれた雑渡は留三郎に腰を落とすように促した。
「俺に何の用事ですか。っていうか、雑渡さん無茶苦茶目立ってますよ」
「ふふ。自分より目立っているわたしへのヤキモチかい」
「断じて違います。誰が横座りするでかい男に嫉妬するんですか」
「君は潮江文次郎くんと同じくらいにからかいがいがあるね」
「あいつと同じ目で見られるなんて心外です」
「最近は尊奈門も大人になっちゃってさ、全然おもしろくないんだよ。ちょうど寂しくなってたところなんだ」
「おもちゃ漁りなら他所でやってください。今は伊作の手伝いで忙しいんです」
 この人は何をしにここへ来たんだろう。
 相変わらず覆面と包帯で表情が読めない。
 陽もあるのにわざわざ伊作ではなく留三郎に会いに来たのだと言う。
 いぶかしむ留三郎の心を読んだように、雑渡は目を細めた。
「君を安心させようと思って」
 雑渡は穏やかに言った。
 そこで初めて留三郎は相手が笑っているということに気付いた。
 分かりにくい。
 すごく分かりにくい。
 伊作はよくこんな人を相手にできるな、と感心した。
「安心ってなんですか。雑渡さんが近距離に座っているっていうだけで安心とは程遠い状況なんですけど」
「つっかかるね」
 雑渡は肩をすくめた。
「伊作くんにウチに来ない〜? って誘ってみたけど即決で断られちゃったって報告しとこうと思って」
 それはつまり、単純に遊びの誘いではなく卒業後の進路についてのことだ。
「……伊作は随分と勿体ないことをしましたね」
「まさかそれ、本気で言ってないよね」
 その時だけ、雑渡の声が尖った。
 タソガレドキで忍びの職を得るということは、タソガレドキのためにすべてを捧げるということだ。
 聞こえはいいが、余程の覚悟がなくてはやっていけないだろう。
 タソガレドキはいくさの多い城。
 雑渡も結構な覚悟で伊作を誘ったのだ。
「済みません。嘘つきました。伊作は自分では力不足だと思って断ったのでしょう」
「いいんだよ。気を遣わなくても。なんとなく分かっていたから」
「振られると分かっていて、わざわざ声をかけたのですか」
「振られてないもん。就職を断れただけだもん」
 雑渡はなぜかそこだけムキになった。
 なんかもう、面倒くさいな。
 面倒見がいいと言われる留三郎もさすがに手に負えなくなってきた。
「えーっと、じゃあまあ、どうもありがとうございます。安心しました」
 留三郎は取りあえず礼を述べて頭を下げた。
 伊作の進む道に留三郎は口を挟めないが、こうなることは予測ができていた。
 伊作の目指す道はタソガレドキにはない。
 伊作の夢に対する意思が勝ったのだ。
「伊作くんは賢明だったと思うよ」
 雑渡は気が済んだとばかりにぼんやりと雲を目で追った。
 雑渡もまた、伊作が辞退することを予見していたのだろう。
 こういうところがあるから留三郎は雑渡を嫌えない。
 伊作は二つ返事でタソガレドキへ……雑渡の許へ行きたかったはずだ。
 ずっと伊作を見てきたから痛いくらいに分かる。
 伊作はこの空のように底抜けの平穏がいつでも雑渡の頭上にあることを願っている。
 それは本当に絵空事のようだけれど。
「賢明というよりかは単純なんだと思いますよ」
「慰めてくれるのかい」
「まさか。でも本当に、ただ単にタソガレドキにいてはタソガレドキのために生きるしかなくなるからだと思いますよ。その枠の外にいれば自分のために生きることができるじゃないですか」
 自分のため……雑渡のために生きることができる。
 本当に単純な伊作の意地と欲だ。
「君が羨ましいよ」
 雑渡がぽつりと零した。
 随分肩すかしな感想だ。
「どのあたりが、ですか」
「言っておくけど顔じゃない」
「知ってます。で一体何をそんなに」
「伊作くんとお友達だから」
 雑渡は言い捨てると留三郎が集めていた花の茎をぶつりと折った。
「一緒にやりますか。薬草摘み……」
「そういうことじゃないんだよ」
 雑渡は摘んだ花を留三郎に投げた。
 受け取ったそれを籠に入れる。
「そいういうことでしょう。薬草摘みをしている間はあなたはタソガレドキから自由だ」
 刹那、雑渡の目が少し見開かれた気がした。
 よくわからないから本当に気のせいだったかもしれない。
「俺は伊作と六年一緒だったけど七年目はない。友達なんか関係なく卒業したらそれまでです。でも俺はべつに七年目を望んでるんじゃないです。辛くなったときに、ふいに思い出せる顔があればそれでいいんです。そうすればその先の一生に励むことができるから。雑渡さんはこれから先の伊作の歩みの中にずっといると思いますよ。だから自由でいたいときは遠出でもして会えばいいじゃないですか。こうやって賃仕事の手伝いさせられるかもしれませんけど」
 きっと、そのために伊作はタソガレドキを選ばなかったのだから。
「確かにね。でもさ、七年目がないと確定したわけじゃないよ。二人そろって留年という残念な結果もあり得ないことじゃないだろ」
「なんて縁起でもないことを言うんですか。人がせっかくいい話をしたのに」
 留三郎はイヤーな部分を指摘されて目を剥いた。
 その時、雑渡の布で覆われた口許が動いたような気がした。
 かなりはっきりと動いたような気がした。
 そして、これは絶対に気のせいだけれど、なんとなく「ありがとう」と言っているように思えた。
 信じられない。
 嘘だ。
 罠だ。
 絶対に違う。
 だって、留年とか不吉なことに触れてくる相手だぞ。
 考えれば考えるほど分からなくなり、しまいに腹が立ってきた。
「大体、こうやって薬草摘みの賃稼ぎしてるのだって雑渡さんのせいな気がしてきました」
「ええー? それは立派な八つ当たりというものではないかい」
「伊作が予備予算の請求し忘れてたのは絶対、雑渡さんのせいです。絶対そうです」
 立ち上がると留三郎は雑渡の静止も聞かずに伊作を呼んだ。
 気まずそうに花に埋もれる雑渡を見つけて伊作が「似合いませんね」と笑った。
 面倒見がいいとよく言われる。
 実際そうなのだろう。
 巻き込まれるのは嫌いじゃない。
 伊作は雑渡と少し離れて静かに言葉を交わしている。
 明日も晴れるといいと思う。
 花がそよぎ、風が甘く香った。


 終わり 
2014/6/8



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