骨まで愛して


「君、変わってるって言われない?」
 突然、雑渡が沈黙を破ったので、包帯を換えていた伊作の動きが止まった。
「不運だとは言われますけど……雑渡さんじゃあるまいし、あまり変人とは」
「変態って思われてなくてよかったー……じゃなくってさぁ」
「冗談ですよ。でも、どうしてそんなことを訊くんですか」
「わたしを部屋に上げるから」
 雑渡は多少呆れた。
 伊作自身もそのことを分かっているのか、ため息のような笑いを漏らした。
 その息づかいが小さな灯りを揺らす。
「いいんですよ。今夜は留三郎も居ませんし。何もおかまいできませんが、くつろいでいってください」
「それが敵に言う台詞かい?」
 思わず、雑渡の語尾が上がる。
 そんなこともどこ吹く風で、伊作は途中で放っていた包帯を雑渡の腕に巻きはじめた。
「あなたは敵なんですか? なんでもいいですけど。あなたは雑渡さんなんだし」
 などと、訳の分からない独自の理論を披露する。
 なんだかなあ、と思う。
 もっとも伊作にばかり問題があるとは言えない。
 夜に案内も請わず、というか無許可で忍術学園の塀を乗り越え、その敷地をうろちょろした挙句、頃合を見計らって伊作の部屋に転がり込んだのは雑渡だ。
 ……あれ、九割雑渡が悪い気が……。
 でも、まあ許して欲しい。
 たまーにね。
 この顔に会いたくなるのだ。
 雑渡が視線の端で後ろを見ると、包帯作業が終わったらしい伊作が「おつかれさまでした」と笑った。
 薄暗い中でもその優しげな目鼻立ちと柔和な表情ははっきりと分かった。
 雑渡が会いたいと思い、そして会いにきた顔だ。
 常日頃は自分を律することなど雑渡にとっては容易いが、伊作のこととなると滅法弱くなる。
 大人だからって我慢ができると思ったら大間違いなのだ。
 伊作はその心中をどこか察している風だった。
 いつも何も訊かず、文句も言わず、嬉しそうに雑渡の名を呼ぶ。
 そういう意味では伊作の方がよほど大人だ。
 もしかしたら雑渡は束の間の夢が見たくてここに来るのかもしれない。
 ほんのひととき。
 タソガレドキの忍びとして明日はどうなるか分からない身だから。
 それでも、だからこそ、今この瞬間が惜しいと思う。
 そう思ってしまうところが、伊作に対する想いを痛感させた。
 なまじ、伊作と気持ちが通じているだけに本当に切ない。
 ふと、伊作の身体が雑渡の背に触れた。
 まだ上衣に袖を通していない雑渡の肌に伊作の体温が直に伝わってくる。
 思わずドキリとしてしまった。
「どうしたの」
 平静を装って言う。
 伊作は応えない。
 ただ静かな呼吸が確かな熱をもって背にかかる。
 その隙間をぬって、伊作の手がさまようように雑渡の身体を這う。
「本当にどうしたの」
 いつもの伊作とは違った行為に、雑渡は多少の不安を覚えた。
 そういう雰囲気になることを伊作は意識して避けていたし、雑渡の方もいつも逃げ道を残していた。
 それなのに。
「えーっと……わたしは誘われているのかな」
 意外にも極楽浄土は近かったんだなー。
 伊作は短く息をつき、のどの奥で笑った。
「雑渡さんって、本当にいい身体してるなーと思いまして」
 伊作のうっとりとした物言いに、今度は雑渡がため息をもらした。
 そんなこったろうと思ったけどさ。
「わたしのカラダが目当てだったのね」
 雑渡が女の声音で抗議すると、伊作は肩を揺らして笑った。
「いやだな。誤解ですよ」
「どう誤解のしようもないよう」
「僕は雑渡さんの身体を褒めているだけです。なんていうか、こう、がっしり肩幅があって、均整のとれた筋肉の付き方で、それなのに割と細身でしょう。きっと中に入ってる骨がしっかりしているからですね。丈夫な骨万歳ですね」
 まるで、雑渡の骨が透けて見えているかのようだった。
 いや、実際見えているのかもしれない。
 なんてことだ。
 自分の骨が恋敵なんて。
 しかし、折々にして伊作には、人の身体というか構造というか部位というか、そういうものに執着する癖があるようだった。
 その最たるものが、今雑渡の視界の端にちらちらと映る骨格標本である。
 この不気味な白い骨は伊作の私物であり、コーちゃんという可愛らしくて恐怖が薄らぐ効能があるような……ないような名前まで付いている。
 命名するくらいであるから余程の熱の入れようであることは雑渡にも容易に想像できた。
 あくまで偽物の人骨であることは分かっているのだが、しかしその空虚な眼窩に見つめられると良い心地はしない。
 これが上辺を暴かれた人の形なのだと理解はできても親しみは感じない。
 よくこんなものと同居できるよね。
 やはり伊作は変わっていて、そして悲しいことに雑渡の恋敵は骨なのだ。
「骨か……骨には勝てない」
 雑渡はすっかりしょげてしまった。
「骨? 骨と勝負するんですか」
 伊作は無邪気に笑う。
 まるで骨の勝ちだと言わんばかりだ。
「だって伊作くんは骨が好きなんだろ。わたしの骨とかコーちゃんが好きなんだろ」
 恨めしい視線を向けると、伊作はちょっと驚いた顔になり、次いで弾けるように笑った。
「すみません。そうなんですけど、でもそうじゃなくて」
「そうじゃなくて何なのさー。三十六歳の純情を弄ぶなんて」
 伊作はしばらく苦しそうにして笑っていたが、その可笑しさも治まると一呼吸した。
 次の瞬間、すっかり油断していた雑渡は身体をこわばらせた。
 伊作の両腕が雑渡を抱きしめていた。
「僕は甘えたかったんです」
 独り言のように零した伊作の言葉が、やけに大きく聞こえた。
 言葉も行為も真っ直ぐすぎて、束の間、雑渡は息をすることさえ忘れた。
「あなたはタソガレドキのものだから、独り占めできる今、僕は甘えたかったんです」
 ぽつりぽつりと伊作は告白した。
 雑渡は少し目を伏せた。
 その通りだと思った。
 雑渡の存在はタソガレドキのものであり、雑渡自身のものでも伊作のものでもない。
 それを知ると人は哀れむかもしれないが、忍びにとっては当たり前のことだ。
 誰かに仕えるとはそういうことだ。
 この目も耳も鼻も口も手も足も血も肉もそして骨に至るまで、余すことなくすべてをタソガレドキに捧げる。
 すべてタソガレドキのものだ。
 雑渡が果てたとしても、伊作には髪の一房、骨の一本だって分けてはやれない。
 伊作はそのことを理解している。
 それでも雑渡に想いを寄せているのだ。
 甘えたいのだと呟いた伊作の心中が切なかった。
 今、伊作が背後にいてくれてよかったと思う。
 雑渡の目に熱いものがこみ上げてくる気配があったから。
 しばらくして伊作が、
「それにしてもいい骨格ですねー」
 なんて、冗談とも本気とも判断つかないお愛想を言った。
 諸々を誤魔化そうとしているのが分かったので、雑渡もそれなりの相槌を打った。
 湿っぽいのは苦手なのだ。
「褒めてくれるのはうれしいけどさぁ。君はわたしなんかより、わたしの骨が好きなんだよね……」
 皮肉で応えると、伊作は思い切り腕に力を込めて身を寄せてきた。
「骨まで愛しているんですよ」
 などと、突拍子もないことを言う。
 ……やっぱり変わってる。
「まったく、君には骨抜きだよ」
 どうやら一生涯、伊作には勝てそうにない。


終わり
2014/1/18


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某アレの伊作のコーちゃん愛が尋常じゃなかった件。