言葉以上


「やあ」
 あたかも忍術学園の生徒であるかのような気軽さで、普通に医務室の戸を開けたのは、タソガレドキ忍者隊の組頭である雑渡だ。
「雑渡さん。尊奈門さんならたった今お帰りになりましたよ」
「それを知っていて今登場したのさ。尊奈門に見つかると、また君と遊ぶのか、遊ぶ時間がるなら自分に稽古をつけろとか掃除しろとかうるさいから」
 まるで母親の小言を食らってふて腐れているような物言いだ。伊作は思わず笑ってしまった。
 雑渡は何の疑問もなく伊作のそばに腰を落ち着けた。
「本当にさ、尊奈門ってばうるさいの。君の前で見せるような礼儀正しさなんて私の前じゃ無いも同然なんだから」
「タソガレドキ忍者隊がどんな風かは知りませんけど、でも尊奈門さんはいい人ですよ」
 そうに違いないと念押しするように言うと、雑渡も落ち着いたらしく溜飲を下げた。
 いまだ治まらない含み笑いを漏らしながら、伊作は二人分の茶を淹れた。そして、湯のみを差し出しながら言った。
「雑渡さんもいい人です」
「わたしがかい?」
 湯のみからもうもうと上がる湯気を見ていたらしい雑渡は、弾かれたように顔を上げた。
 伊作はうなずいた。
「だって尊奈門さんのために手紙まで書いたんですから。尊奈門さん喜んでましたよ。あなたが自分を気にかけて下さっていたんだって」
「まあ、また勝手に忍術学園に乗り込んで土井先生の邪魔をされては、タソガレドキ忍者隊の評判が下がってしまうからね」
 そんな風に言うけれど、雑渡が思いやりのある人であることに伊作は随分前から気づいていた。
「で、尊奈門はどうだった?」
「それは帰ってから尊奈門さんから直接聞いた方が面白みがあるのではないでしょうか」  雑渡は唸ると茶を一口すすった。
「それはそうだけどさ。伊作くんに迷惑かけなかったかい?」
「全く。少しだけ医務室でお休みされましたけど、それ以外はお元気でしたよ。色々ありましたけど、何か納得するものがあったらしく機嫌よく帰っていかれました」
 雑渡は全身から出せるだけ出したというようなため息をついた。
「医務室でお休みねえ……。羨ましいっ!」
「おいっ!」
 伊作は突っ込んだ。
「だってわたしでさえ、そんなオイシイことしたことないんだよ! 尊奈門のくせにっ! なんてことだ。軍法会議もんだ!」
「……」
「分かったよ。本題に戻るよ。ちょっとしたおじさんのお茶目じゃないか。うん、まあ、羨ましいのは本当だけどさぁ――って、分かってるよ。そんな冷たい眼で私を見ないでくれ。若者の冷ややかな視線におじさんという生き物は傷つきやすいのだよ。で、何だっけ? ああそうそう。尊奈門のやつ、やっぱり伊作くんに迷惑かけてたんだね。うん。予想はしてた」
「見事に予想的中ですねって、これがタソガレドキ忍者の頂点の実態ですか。気のせいかな。なんだか涙が……」
 袖で目元を拭う仕草をしてみせる伊作に、雑渡は苦笑いになった。
「まあ、そのことは置いておいて。尊奈門が元気なのはいいことなんだけどさ、元気すぎて迷惑することもあるのさ」
「組頭ともなると大変なんですね」
 雑渡がじろりと睨んできた。
「他人事だと思ってえ」
 そんなつもりは毛頭なかったのだが、でも伊作は雑渡のことも尊奈門のこともほとんど知らないのだ。だから他人事になってしまっても仕方が無いのかもしれないが。それでも、その他人事という響きに寂しさを覚えるあたり、伊作は雑渡と他人でいたくないと思っているらしい。
「他人事はないでしょう。確かに僕も軽口が過ぎましたけど、でも雑渡さんのこと他人と思ったことはないです。いや、他人なんですけど、でも他人じゃなくて――」
 伊作は何が言いたいのか分からなくなってしまった。雑渡と自分の関係を考える時はいつも頭がこんがらがってしまう。
「嬉しいよ」
 雑渡は言った。
「わたしには近寄る人よりも離れていく人の方が多いから……」
 雑渡は視線を落とした。その眼はどこを見つめているのか分からない。もしかしたらその寂しそうな眼は、昔のことを映しているのかもしれなかった。
「僕は雑渡さんと仲良くなりたいから、身体も心も遠くへ行くことはないと思います」
 伊作が畳み掛けると、雑渡は破顔した。始めてみるかもしれないそのとびきりの笑顔に、伊作はどぎまぎした。次いで、雑渡に近づけた嬉しさが身体を一直線に突き上げていった。
「でも、尊奈門さんともちょっと仲良くなれた気がして嬉しかったです。尊奈門さんのこと、タソガレドキ忍者隊の中でも若くて優秀な忍者と聞いていましたから、何だか恐れ多かったのですけど、意外と打ち解けやすい人で安心しました」
「わたしはその優秀な忍者の上司だけど? わたしのことは恐れ多くないのかい?」
 雑渡はちょっとふて腐れてみせた。伊作は弾けるように笑った。
「雑渡さんは特別です。あなたは……僕が追う前に自分の方からぐいぐい来る人でしょう。それに、雑渡さんは何だか懐かしい感じがします」
「そう……」
 雑渡は鼻歌をうたいながら茶をすすり始めた。どうやら機嫌は直ったらしい。まったく、どっちが子どもなんだか分からない。
 もしかしたら違いなどないのかもしれないと思った。
 雑渡にも尊奈門にも喜怒哀楽があり、時々子どもっぽかったり分別臭かったりする。それは伊作も同じだ。いくら歳が離れていても、いくら近寄りがたくても、雑渡は雑渡、尊奈門は尊奈門、そして伊作は伊作でしかないのだ。それは本当に清清しいことだった。
「さて。陽も傾いてきたし帰るとしますかね」
 雑渡はお尻を重たそうにして立ち上がった。
 廊下の床板に西日が反射して白く浮き上がっている。
「今度はもっと色気のある手紙を尊奈門に届けさせるよ」
 雑渡は片目をつぶってそんなことを言った。伊作は浅くうなずいた。
 手紙を貰うことは嬉しい。どんな内容であれ、心のこもった文面に触れると胸が躍る。自分のために書かれたものだと思えば尚更だ。けれど、寂しくもあるのだ。その筆跡を目で追い、指でなぞり、触れられるはずもないその人の感触を探してしまう。
 元気だろうか。怪我はしていないだろうか。ちゃんとご飯は食べているだろうか。
 普段から顔を付き合わせることの出来る関係であれば、こんな心配も寂しさも要らないのだ。
 文字は文字を、言葉は言葉を超えられない。手紙はただの手紙だ。
 だから。
「手紙はとても嬉しいですけど……。こうしてあなたに直接会えた方がもっと嬉しいです」
「迷惑じゃないの?」
 雑渡はとても驚いている様子だった。伊作の口から会いたいという言葉が飛び出したことに余程衝撃を受けたらしい。
「迷惑なものですか。僕は少しだけ尊奈門さんが羨ましかったんです。雑渡さんに気遣ってもらえて。そういう些細なことで、雑渡さんと僕は別々なんだなと……。僕は雑渡さんに会えることが、もうずっと楽しみなんですから遠慮しないでください」
「そっか。じゃあそうするよ」
 意外なほど伊作の我侭をあっさりと承諾した雑渡に、伊作の方が面食らってしまった。少しも躊躇うことなく「会いに行く」と請け負ってくれたのだ。
 文字は言葉は手紙は現実を超えない。多分、そこで明日を語ればそれはたちまち嘘っぽくなってしまうだろう。そこにあるのは互いの過去だけだ。
 だから、会うのだ。
 言葉で伝え切れなかったものを確かめるために。
 言葉からあふれ出たものを集めるために。
 言葉で拒んだものをもう一度、抱きしめるために。
 言葉を超えた明日を見つけるために。
「今度は僕からも会いに行っていいですか」
 気後れしながら伊作が言うと、雑渡は嬉々とした。
「大歓迎さ。その時は迎えに行くよ。タソガレドキを案内するね。でも尊奈門に見つからないようにしないとさ、うるさいから」
「じゃあ、尊奈門さんと高坂さんと、ああ、山本さんも誘えばいいじゃないですか。みんなで仲良くタソガレドキの山でも散策しましょうよ」
「……冗談でしょう?」
 瞬間、青ざめた雑渡に伊作は笑った。
「じゃあ、尊奈門さんの小言攻撃に打ち勝つために秘密特訓しなくちゃですね」
 雑渡が去ったあと、伊作はしばらくその場に突っ立っていた。廊下に差した西日の位置が移動している。陽もだいぶ傾いたらしい。
 また新しい朝が来る。伊作も雑渡もそれぞれ場所でそれぞれの朝を迎えるのだろう。そうして、いつかの朝が来たら雑渡に会いに行くのだと伊作は思った。


 終わり 
20110608

 参考 TV19期 第61話 土井半助の秘密特訓の段

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