未練
雑渡のことは、尊奈門が本当に小さかった頃から知っている。だからこそ、雑渡に対する想いは「好き」とか「嫌い」とかそんなものじゃない気がする。
大きくなるにつれ、たくさんの人と知り合い言葉を交わした。
上下関係を理解し忍びの仕事をするようになって、雑渡と主従になった。
そして。
雑渡は外の世界にお気に入りを見つけた。尊奈門は、雑渡の一番のお気に入りから、二番目のお気に入りになったのだ。
それだけのことだった。
尊奈門がすうすうした隙間だらけの身体をもてあまそうとも、その事実は変わらなかった。尊奈門の身にどんな虚無感が降ってこようとも、ジリジリ焦げるような感情が湧こうとも、そんなものは無視されていることを受け容れるしかなかった。
それでも。
雑渡に対する何がしかの気持ちが、確かに存在しているのだ。
尊奈門は頭上を仰いだ。桜の枝越しに霞んだ空が見える。
桜の木はすっかり様変わりしていた。花はすっかりそぎ落とされ、無骨な枝にはしんなりとした若緑の芽が顔をのぞかせている。
尊奈門は手を伸ばした。そっと触れてみる。濡れ布巾に触っているような、そんな瑞々しさを感じた。これは、生まれたての摂理だ。桜の花が散るのに、桜の葉が芽吹くのに理由はない。理由はいらない。ただ、自然の中で生きるものが自然の摂理に従った結果なのだ。だから、尊奈門のこの想いにだって理由はないはずだ。理由を考えてはいけない。ただ、この想いにひたすら向き合えばいいのだ。
だから、だけど、でも。
苦しくなってしまう。
目を伏せたくなってしまう。
あの人が一度も振り返らないから。
一度も私を見ては下さらないから。
隣で沈黙を守っていた高坂が口を開いた。
「尊奈門はさ、自分のお気に入りを取られてひがんでるだけだろ。てめえは三歳児かっての」
呆れて言う高坂に、尊奈門はやんわりと訂正した。ずっとこの厄介な感情と向き合ってきたのだ。だから、もう正体を知っている。
「ひがみ……いいえ、違います。これは――」
高坂は何でも出来る人間だった。怒らせるととんでもなく怖いけれど、でも、嫌味なくらい何でも出来る。仕事で足を引っ張ったことなど一度もないと聞く。男気があるし顔も綺麗だから女の人にも困ったことがない。けれど、尊奈門が尊敬している高坂でも、この感情は知らなかっただろう。
尊奈門は胸の辺りをぎゅっと握り、はっきりと言った。
「――これは未練です」
自分の感情と向き合うのは怖い。けれど、尊奈門は自分にとって雑渡がどういう存在であったのか、ごまかしたくなかったのだ。
終わり 20100820