有毒
雑渡はにやにやしていた。端から見たら、なかなかに年季の入ったにやにや笑いに違いなかった。
可愛いものは好きだ。特にそれらが、大きかろうが小さかろうが関係ない。つまり、善法寺伊作と鶴町伏木蔵のことである。
この二人のやり取りは非常に愛らしく、雑渡がいつも目じりが下がってしまうのだ。
「伊作せんぱい。これはどのくらい入れますか」
伊作が伏木蔵の手にした粉末を検分する。
「えっと、これは二匁かな」
言われてすぐに伏木蔵は分量を調整している。
その間に、伊作は何やら二三種類薬草を薬研でごりごりとやり始めた。夜のしんとした空気にその音はよく響く。
「それは何ですか」
「オモトだよ」
「毒ですね! そっちのは何ですか」
「アセビだよ」
「毒ですね! じゃあ、そっちのは何ですか」
「トリカブトだよ」
「毒だろー!!!」
雑渡は盗み見していた医務室の天井から飛び降りつつ突っ込んだ。
「君たちゃ、一体何を作ってるんだい」
「「毒ですけど。何か」」
綺麗に唱和されてしまった。
いや。何かって言われても……。
そんなにけろりと認められちゃあ、何だかなあ。
「いや、ほらね。おじさんとしては、歳若い君たちが間違った道へ進まないように、正しく導く義務があるわけで」
「犯罪まがいのことを毎回している人に言われても、説得力に欠けます」
伊作のもっともな言い分に、雑渡はぐっと言葉に詰まった。
「違うもん。これは犯罪じゃないもん。すとーかーじゃないもん。見守りだもん」
「ものは言いようですね」
伊作が鼻で笑った。伏木蔵がいかにも哀れそうな目を寄越してくる。
伏木蔵までっ!
「酷いよ。せっかく遊びに来たのに。いたいけな大人をいじめるなんて」
雑渡が伊作の腕を引っ張った。ぐっと顔を近づける。
途端に、伊作は笑み崩れた。
「じょ、冗談ですよ。すみません」
雑渡は口を尖らせた。
「もう。気を付けてよ。おじさんはすぐに傷つくんだから」
「でも、作っていたのが毒っていうのは本当ですよ」
伏木蔵が口を挟む。雑渡はぎょっとして伊作の顔を見た。一瞬、伊作が意地悪そうな笑みを浮かべた。
「どうします。その毒を使う相手……あなただって言ったら」
「ほ、本当なの」
今度は、伊作は声をたてて笑った。
「まさか。そんなことあり得ませんよ。たとえ天地がひっくり返ったってね」
雑渡は胸をなでおろした。心底ほっとしたのだ。
確かに、忍術学園とは曖昧な関係で、自分は毒を盛られてる理由はなくても、毒を盛られても少しもおかしくない立場にいるわけで……。
あれ。待てよ。
そもそも、伊作くんとの関係だって曖昧模糊じゃないか。
目の前の伊作は眉を引き下げながら、ひたすらに意地悪をしたと詫びている。
よく動く大きな目、やわらかそうな長い髪、ぷっくりとした頬に、形のよい唇。たとえ情けない眉になっていたとしても、伊作の可愛らしさは変わらなかった。冗談を言っても意地悪をしても、こうやってすぐに謝ってしまう。そんなやさしい性格も可愛らしい。
上からも下からも愛される人徳者なのだ。
だから、雑ともついついちょっかいを掛けてしまう。構いたいといより、構われたいのだ。伊作と話すやわらかい時間が好きだった。上質の真綿にくるまれているようなそんな気持ちよさがある。心地よくて、自分の全てをさらけ出せるような気がした。何も隠し事をしなくてもいいような、何も取り繕わなくても受け容れてもらえるような、自分が一番自然で居られる存在が伊作だった。
雑渡は伊作を恋い慕っているのだが、じゃあ、伊作も同じかといえば決してそうではない気がする。非常に残念ではあるが、それは認めなくてはならないだろう。
だから、あんまりにもしつこいという理由で、毒を盛られないという結末も可能性がないわけではないのだ。
雑渡が焦ったのはそういうわけだ。
「でもさ、わたし用じゃなかったらその毒は、何に使うんだい?」
「害虫対策なんです」
伊作は素直に答えた。
「ねずみとか、ムカデとか?」
「マムシにも効果があるんですよ」
伏木蔵が上機嫌で付け加えながら、すり鉢で材料を練り合わせ始めた。
作業を後輩に任せることにしたらしい伊作はお茶を淹れにかかった。すっと湯のみが目の前に差し出される。
「ありがとう」
素直に受け取ると、雑渡は一口すすった。宵の口の空は、まだほんの少しだけ夕暮れの明るさを残している。ぼんやりと外を眺めていると、伊作が隣に座った。
「ところで、今日は何のご用時だったんですか。まさか盗み見みしに来ただけじゃないですよね」
「ぎくっ」
「そんなんだったら、もう金輪際、伏木蔵には会わせませんよ」
可愛らしく上目遣いで睨まれて、雑渡はまたもや、にやついてしまった。
理由。
理由なんて、伊作に会いたいからに決まっている。それ以外に一体何があるというのだろう。それが分かってもらえないことがいささか悔しいが。まあ、遠回りも悪くない。
雑渡は伊作の手を取った。その甲を親指で撫でる。
「伊作くんを攫いに来たって言ったら?」
伊作はぽかりと口を開けた。
「へ?」
「用事がなきゃここへ来ては駄目だと言うんなら、君を攫いに来たってことにするよ」
「するよってそんな、無茶苦茶な」
伊作は顔を赤らめ、雑渡の手を跳ね除けようとしている。雑渡は逃がさなかった。爪が食い込むほど伊作の手を握り、自分の口元に押し当てた。
「どこも無茶苦茶じゃないさ。筋道は立ってる。わたしは伊作くんが好きだって再三言ってるし、好きだったら伊作くんの全部を手に入れたいし、全部知りたい。正当な理由じゃないか。ね」
「何が、ね、ですか」
「駄目?」
懇願するように見つめたら、伊作は慌てたように顔を背けてしまった。
「そんなこといちいち訊かなくてもいいんです。駄目な、わけ……ないでしょう」
「伊作くん」
「ちょっ、それ以上近づかないで下さい」
伊作は耳まで真っ赤にして俯いた。やがて、かすれた声でささやいた。
「僕にとって、雑渡さん以上の毒はないですよ……もう、心臓に悪いったら」
「それって、ただ単にわたしが伊作くんの害ってこと? それとも、癖になるってこと?」
「もうっ。言わせないで下さいっ。毒を食らわば皿までですよ」
雑渡は目を細めた。このまま、本当に攫って行ってしまいたかった。けれど、伊作の世界は雑渡ばかりではないのだ。大切な人の大切な場所を踏み荒らすわけにはいかない。
だから、雑渡は伊作の肩にもたれた。細くて薄くて骨張っていていかにも頼りなげな肩ではあるが、それでも、雑渡のこころを穏やかにしてくれた。
体重を傾けても伊作は嫌がる素振りを見せなかった。一度だけ、ふわりと頬の辺りを撫でられた。
そのことが嬉しくて雑渡は幸せだなと、にやにや笑った。
終わり 20101031