十五年目 12


 伊作は高坂が頭を下げる姿を再び見ることになった。
 今度の相手は伊作ではない。忍術学園の教科担当教師、土井半助である。
 土井は怪我をした尊奈門に付き添って医務室にいた。
「ご迷惑をお掛けして申し訳ありません」
 高坂の丁寧な謝罪に、土井は顔の前で手を振った。
「いやあ。こちらこそ、尊奈門くんとの手合いは良い勉強になりますから」
 高坂に気を遣ってか、土井は当たり障りのなく応えた。
「ほら、バカ尊。お前も謝れ」
「……謝れないと思いますよ……」
 伊作は口を挟んだ。
 土井にコテンパンにやられ、さらには高坂にぶん殴られた尊奈門は頭に星を飛ばして倒れていた。
 せっかく医務室までたどり着いたのに、味方の一撃で気を失ってしまうとは哀れである。
 しっかり手当てをしてやってくれ、と言って土井は医務室を去った。
「まったく、尊奈門はどういう神経をしているんだ。手紙を届けたその足で決闘ってありえないだろう」
「そんなに怒らないであげてください。相手は怪我人ですよ。もっとやさしく」
 尊奈門の顔や腕にできた傷口を拭ってやりがら、伊作は高坂に注意した。
「ああ。身内でさえもこんなに冷たいというのに。善法寺くんはやさしいなあ」
 意識を回復させた尊奈門は高坂を斜に見た。
「やさしくされたかったら、まず土井先生に迷惑を掛けるな。そして、善法寺くんにも迷惑を掛けるな」
「陣左の言うとおりだよ〜、尊奈門」
 間延びした声で医務室の戸を開けたのは、今しがた治療の終わった患者の上司である。
「雑渡さん」
「組頭、学園長先生とのお話は……」
「うん。無事終了。鋏投げられちゃった」
 雑渡は面目ないという風に笑った。
「なかなか、乙な武器を使われますね。さすが、この学園の主にして若い頃は天才忍者と謳われた大川平次渦正殿です」
 高坂はつくづく関心した様子で顎に手をやった。
「お怪我はっ?」
 伊作は雑渡に飛びついた。
 一瞬、雑渡は驚きに目を丸くさせたが、
「大事ないよ」
 嬉しそうにそう応えた。
「そうですか。ああ。よかった。でもそうですよね。雑渡さんが鋏くらい避けられないわけがないですものね」
「おや。随分と過大評価されたものだね」
 伊作を心配させまいとしてか、雑渡はおどけたように言った。
「かだいひょうかって何ですか?」
 雑渡の背後で小さな影が動いた。雑渡の脚から半分だけ顔を覗かせる。
「伏木蔵! どうしたの? 授業は?」
 保健委員の一年生、鶴町伏木蔵であった。どうやら、初めて顔を合わせる高坂を警戒して、雑渡の後ろに隠れているらしい。その視線はじっと高坂の方を見据えている。
「伏木蔵、こちらはタソガレドキ忍者の高坂さんだよ。ごあいさつして」
 伊作に促され、伏木蔵は聞き取れないほど小さな声で自分の名前を言うと、すばやく頭を下げた。
 そんな姿が微笑ましかったのか、高坂は薄く笑みを浮かべて「よろしく」と言った。
「一年生は午後から授業がないらしいよ。さっき廊下で出会ったから連れてきちゃった」
 伏木蔵の代わりに、雑渡が説明をしてくれた。
「すっごくスリルーなニオイを嗅ぎつけたので、医務室へ急いでいたら、こなもんさんと会ったんです」
 園田村で出会って以降、雑渡は何かと保健委員に対して便宜を図ってくれていた。委員の中でも伏木蔵は特に雑渡に懐いていた。こなもんさん、とはつまり、雑渡のあだ名であ る。
「ショセンさんってば、土井先生に手合いを挑んだんですね〜」
「伏木蔵、ショセンさんじゃなくて、諸泉さんだからね」
 伊作がやんわりと訂正すると、奥で尊奈門がひらひらと手を振ってみせた。
「尊奈門。手当てが終わったのなら、もう一度、土井先生に謝ってきなさい」
「はい」
 雑渡に促されて尊奈門は立ち上がった。雑渡は礼儀に関しては何かと真面目な態度である。
「しっかり謝ってこいよ。ショセンさん」
「もうっ! 高坂さんのいじわる!」
 尊奈門は舌を出すと、高坂に対する恨み言を叫びながら走って出て行ってしまった。
「あーあ。尊くんってば、走って行っちゃったよ」
「まったく、廊下は走るなと言っているのに」
「問題はそこではないと思いますが……つくづく可哀そうな尊奈門さん」
 伊作は尊奈門に同情した。雑渡と高坂は尊奈門をからかって遊ぶクセがあるあしい。
「伊作せんぱい」
 伏木蔵が耳打ちしてきた。
「なんだい?」
「きっとあれは、可愛い子ほどいじめたくなるっていうやつですよ」
 伏木蔵は分かったような口を利く。でも、確かにそうかもしれない。
 忍者隊の中でも比較的若い尊奈門には、誰もがちょっかいを出したくなるのだろう。そうでなくても、尊奈門にはどこか人を和ませる力があるような気がした。ほんのひと時で も辛い現実を忘れさせてくれるような……。
 尊奈門はタソガレドキ忍者隊にとっても、雑渡や高坂にとっても必要な存在なのだ。
「どうかしたかい?」
 ぼうっとしていた伊作に、雑渡が声を掛けてきた。その目からは伊作を心配していることが窺えた。
 伊作は笑って首を横に振った。
「いえ、なんでもありません」
「そう?」
「僕のことよりも……」
 伊作は小さな後輩を目顔で示した。伏木蔵の視線は雑渡に注がれている。見ていてこちらが恥ずかしくなるほど熱い視線だ。
 その熱烈なまなざしに気づいた雑渡は膝を折り曲げ伏木蔵と目線を合わせた。
「こなもんさん、遊びましょう」
 伏木蔵は待ち構えていたかのように雑渡の首に抱きついた。
「こら伏木蔵っ!」
 伊作は伏木蔵を窘めた。
 仮にも雑渡はタソガレドキ忍者の頂点である。尊奈門を連れて、早々に城へ帰らねばならないだろう。
「いいよ」
 ところが、伊作の心配をよそに雑渡は伏木蔵の申し出を気安く請け負った。伏木蔵を抱きかかえると造作もなく肩に乗せた。
「雑渡さん、すみません」
「気にしないで。わたしも丁度遊びたいと思っていたところなんだ。さあ伏木蔵。何をして遊ぼうか」
「毒薬を順番に舐めていって、どちらが先に倒れるかの遊びをしましょう」
「いいとも」
「よくない!」
 すかさず伊作が突っ込むと、伏木蔵はいかにも残念だという表情を浮かべた。
「伏木蔵。そんな顔しても駄目だよ。もっと安全な遊びにしなさい。ね」
「わたしは構わないよ」
「雑渡さんも、受け容れないでください」
 伊作は雑渡に食って掛かった。背後で高坂がくすりと笑った気配がした。
「……分かりました。じゃあ、こなもんさん。あっちで蟻の巣を埋めましょう」
「いいとも」
「水攻めと砂攻めのどっちにします?」
「二人とも、生き物は大切にね」
 伊作は物騒な相談をしながら外に出て行く二人の背中を見送った。
「嵐が去ったって感じだな」
 高坂は庭の隅でうずくまっている大小の影を眺めながら笑った。
「本当に。でも、ああしている二人と見ると、まるで親子のようで微笑ましいです」
「親子か……。まあ、組頭も伏木蔵くん位の子どもがいてもおかしくない歳か」
「僕と親子でもおかしくはありませんよ」
「……まあ、言われてみればそうかもな。でも――」
 高坂は言い淀んだ。伊作は首を傾げ先を促す視線を送る。
「そのことを組頭の前で言っては駄目だぞ」
「どうしてですか?」
「組頭がしばらく使い物にならなくなる」
「ええ?」
 高坂に凄んだ目で言われ、伊作は驚きの声を上げた。
「君は本当に裏切らない鈍感ぶりを発揮するんだな。君も組頭が泣くところなんて見たくないだろう。私は見たくない」
 高坂は伊作の肩に手を置いて、とにかく絶対に駄目だ、と念を押した。
 なぜ雑渡が泣いてしまうのかよく分からなかったが、伊作は素直に頷いた。
「あ、親子じゃなくて、夫婦だったらいいぞ」
「はあ……」
 高坂の意味不明な提案にも、とりあえず伊作は頷いておいた。雑渡も自分も男なのに、と思った。
「夫婦といえば、確か雑渡さんも独身でしたよね」
 伊作は気を取り直して言った。
「そうだな。今も昔も、方々から想いを寄せられてはいるんだろうが独り身を貫いておられるな」
「でも、高坂さんが雑渡さんの家族ですものね。だからきっと寂しくはありませんね」
 伊作は森の中で雑渡が語ってくれたことを思い出した。勘当され、家を失った高坂に手を差し伸べたのが雑渡であったと。
 誰か、たった一人のためにすべてを捨てる。
「すごいですよね、高坂さんは」
「すごい?」
「ええ。だって、雑渡さんのために家を出たんですよね」
 絶縁されたのだと、そう雑渡から聞いている。
 その残酷な出来事は高坂の強さの産物でもあるのだ。共に生きる人を、一生をかけて守る人を自分で選んだ強さ。どんな困難にも食い下がって生きていくと決めた強さ。
「どうなんだろうな」
 高坂は呟いた。次いで苦笑する。
「あの当時は、それが最善で最高の道だと思って、ほとんど自己満足で決め込んでしまったけど……。もしかして、組頭にしてみたら、ただの面倒な押しかけ女房だったかもしれないな」
「そんなことはありませんよ。きっと雑渡さんは本当に嬉しかったと思いますよ。本当に……羨ましい……」
 言った後で伊作ははっとした。慌てて口を押さえる。こんなことは言うつもりではな かった。羨ましいなどと、浅ましい感情を言葉にするつもりはなかったのに。
「羨ましい? 誰が誰を?」
 高坂が先を促す。
「僕は高坂さんが羨ましいと思いました」
 伊作は正直に告げた。
「私?」
「ええ。雑渡さんの傍にいられる高坂さんのことが羨ましい」
「仕事だ。羨ましがられる要素は一個もないと思うが」
「あの方の力になれます。高坂さんは雑渡さんの力になれます」
 伊作にはできないことだ。たとえ、伊作が雑渡の傍近くにいたとしても雑渡の力にはなれない。高坂のように誰かを守るための強い力は持っていない。
「それは違うな」
 高坂は呟いた。その視線は雑渡の背中に向けられいた。大きくて広い背中を懐かしそうに眺めている。
「私が組頭のお力になれたことなど数少ない。情けない話だがな……」
 高坂は嘲笑した。今まで何度もそうやって自分を陥れてきたような笑いだった。
「そんなことはないと思います。僕は高坂さんと雑渡さんの間になにか、特別な繋がりみたいなものを感じました。仲間よりも友人よりも濃い繋がりみたいなものを」
 だから羨ましかったのだ。
 その二人の間に見え隠れする特別な何かが、伊作にとってはとても眩しく映った。
「組頭は君に私のことをどこまで話したんだろうか」
 ふいに高坂は問うた。
「僕がお聞きしたのは、高坂さんの家は武術の名門で、高坂さんはそこの跡取りだったけど雑渡さんを選んだから破門、絶縁された……と」
 伊作は雑渡から聞いた高坂のことを思い出せる分だけ洗いざらい話した。
 高坂が噴出した。
「なんだか聞いていると、まるで駆け落ちした者の顛末みたいだな」
「あ。確かに」
 けれど、雑渡のために高坂が家を捨てたとしか聞いていない。
「いろいろと、あいだが抜けている」
「あいだ?」
 伊作が鸚鵡返しに訊くと、高坂は頷いた。
「君に私と組頭のことを話しておこう。私と組頭の過去を」
 伊作は唾を飲んだ。居住まいを正す。高坂は、硬くならずに聞いてくれ、と言った。
「かつて私は組頭の稚児だった……」
 そう切り出し、高坂は自らの過去を語り始めた。

 つづく
20120627



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